イタリア視察の旅 ( 1,23 〜30 )に行ってきました。
イタリアに視察の旅に行ってきました。
(旅費は大変お値打ちでしたが、見事に寒かったです^^;
帽子、手袋、マフラー、コートに加え、タイツは迷って持参して正解でした。)
今回、どうしても見たかった視察場所は、2か所でした。
一つは、網の目のような運河と、歴史的建物群の織りなす、
独特の風情を感じさせるベネツイア。

もう1か所は、2500年の歴史があり、風化に耐えながら、死の街と呼ばれる、
人口20人の街、チビタ・デ・バニョレージョです。
ミラノ→ベローナ→ヴェネツイア→フィレンツエ→チビタ・デ・バニョレージョ
→ローマ→ポンペイと回り、ローマの空港からドイツ・フランクフルト経由で、
セントレアに帰国しました。乗り継ぎのフランクフルト空港の大雪で大幅に
遅れるトラブルもありましたが、無事帰ってきました。
スケッチは、時間と寒さとの戦い(笑)で、7枚がやっとでした。
3回に分けてでしたが何とか、紀行をブログにUPできました。
是非、お読みください。
(旅費は大変お値打ちでしたが、見事に寒かったです^^;
帽子、手袋、マフラー、コートに加え、タイツは迷って持参して正解でした。)
今回、どうしても見たかった視察場所は、2か所でした。
一つは、網の目のような運河と、歴史的建物群の織りなす、
独特の風情を感じさせるベネツイア。

もう1か所は、2500年の歴史があり、風化に耐えながら、死の街と呼ばれる、
人口20人の街、チビタ・デ・バニョレージョです。
ミラノ→ベローナ→ヴェネツイア→フィレンツエ→チビタ・デ・バニョレージョ
→ローマ→ポンペイと回り、ローマの空港からドイツ・フランクフルト経由で、
セントレアに帰国しました。乗り継ぎのフランクフルト空港の大雪で大幅に
遅れるトラブルもありましたが、無事帰ってきました。
スケッチは、時間と寒さとの戦い(笑)で、7枚がやっとでした。
3回に分けてでしたが何とか、紀行をブログにUPできました。
是非、お読みください。
続・イタリア視察紀行第3弾・ミラノ、ベローナ
イタリア視察紀行・ミラノ(今回の視察の出発点)、ベローナと併せてご紹介します。
これで、回った都市は一通りUPできました。^^*
1867年に建設された十字型のアーケード。
ガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世・アーケード。
19世紀後半社交場としてにぎわったそうで、世界のアーケードの
さきがけとなりました。
ガラスと鉄でできたドーム型の天井は、当時の最新技術。
床のモザイクが秀逸です。
その中にブランドのお店に交じって、見かけないカラーのマクドナルドが!
写真では見づらいですが、黒のプレートにMのマークがあります。
プレートカラーを統一させるところが、さすがブランドの街ミラノ!

ここでこの旅、1枚目のスケッチを描きました。

街の中央にそびえるドオーモ。1386年から500年の月日を要して完成した、
ゴシック様式の聖堂です。ローマのサン・ピエトロ大聖堂、
スペインセビリアのカテドラルに次ぎ、世界第3位の規模とか。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ベローナ
(想像していたより、しっとりとした街の風情が良かったのがここ。
ロミオとジュリエットの、舞台になった家にも行きましたがご紹介はパス^^;)

シニュール広場

紀元1世紀末期に建造されたアレーナ。ローマ時代の競技場遺跡としては、
ローマのコロッセオに次ぐ規模とか、今も完璧な形をとどめている点では、
ローマのコロッセオに勝ります。
これで、回った都市は一通りUPできました。^^*
1867年に建設された十字型のアーケード。
ガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世・アーケード。
19世紀後半社交場としてにぎわったそうで、世界のアーケードの
さきがけとなりました。
ガラスと鉄でできたドーム型の天井は、当時の最新技術。
床のモザイクが秀逸です。
その中にブランドのお店に交じって、見かけないカラーのマクドナルドが!
写真では見づらいですが、黒のプレートにMのマークがあります。
プレートカラーを統一させるところが、さすがブランドの街ミラノ!

ここでこの旅、1枚目のスケッチを描きました。

街の中央にそびえるドオーモ。1386年から500年の月日を要して完成した、
ゴシック様式の聖堂です。ローマのサン・ピエトロ大聖堂、
スペインセビリアのカテドラルに次ぎ、世界第3位の規模とか。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ベローナ
(想像していたより、しっとりとした街の風情が良かったのがここ。
ロミオとジュリエットの、舞台になった家にも行きましたがご紹介はパス^^;)

シニュール広場

紀元1世紀末期に建造されたアレーナ。ローマ時代の競技場遺跡としては、
ローマのコロッセオに次ぐ規模とか、今も完璧な形をとどめている点では、
ローマのコロッセオに勝ります。
イタリア視察紀行・第2弾・ヴェネツイア〜
今回の視察で、もっとも訪れたかったヴェネツイアです。
一昨年、オランダ・アムステルダムを見て、運河と水運の工夫、歴史的建造物が織りなす
風情に感動しました。同じく運河の街で名だたるベネツイアと、見比べて見たく思っていました。
大きな違いは、アムステルダムは、海より低い国土を埋め立てながら、
運河も作られているため、陸路も整備されています。
ベネツイアは島ですから、運河などの舟運のみで陸路はなく、建物間の通路幅も、
両手が広げられないほど狭く、本土との交通も舟が頼りです。
(橋で結ばれ半島化しましたが)、舟で海を支配し東方貿易で栄華を誇った国、
マルコポーロの出現も想像できる所以です。
本土からの、水上バスからみたヴェネツイア。
もともと標高が低い上に僅かづづ地盤沈下しているそうで、
満潮時に大雨や台風が重なると、サン・マルコ広場まで冠水することは、
日本でもニュースで見ましたが、頷けました。
(地面から50センチくらいの座卓のような、通路用材が冠水時用に積まれていました)

大運河にあるゴンドラ乗り場、塗装や装飾金物など、意外とゴンドラの仕様が立派なことに驚きました。
ゴンドラ乗り場からサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会(トイレ休憩中にスケッチ^^;)

(左)大運河から迷路のような運河(生活路)への導入路(建物の間です)の1つです。
(右)ここから入ると、このような風景に遭遇します。
(左)サン・マルコ寺院です。(改修中)アラブ中近東のデザインが違和感を感じさせます。
左にサン・マルコ広場(右)が広がっています。
ベネツイアの街中の通路はこんな感じです。両手を広げることができないほど。
出店に、さまざまな仮面が売られていました。
18世紀からつづくカーニバルが、2月〜3月に開かれるそうです。
仮面をつけると貴族も庶民も無礼講で、他の国の貴族もお忍びで遊びに来たとか!?

橋の上からのスケッチです。運河にはいたるところに橋が掛かっています。
集合時間まで、約40分間手袋をとって描きましたが、手の甲の色が変わっていました。
なんとか描いて、大急ぎで集合場所へ駆けつけました。
一昨年、オランダ・アムステルダムを見て、運河と水運の工夫、歴史的建造物が織りなす
風情に感動しました。同じく運河の街で名だたるベネツイアと、見比べて見たく思っていました。
大きな違いは、アムステルダムは、海より低い国土を埋め立てながら、
運河も作られているため、陸路も整備されています。
ベネツイアは島ですから、運河などの舟運のみで陸路はなく、建物間の通路幅も、
両手が広げられないほど狭く、本土との交通も舟が頼りです。
(橋で結ばれ半島化しましたが)、舟で海を支配し東方貿易で栄華を誇った国、
マルコポーロの出現も想像できる所以です。
本土からの、水上バスからみたヴェネツイア。
もともと標高が低い上に僅かづづ地盤沈下しているそうで、
満潮時に大雨や台風が重なると、サン・マルコ広場まで冠水することは、
日本でもニュースで見ましたが、頷けました。
(地面から50センチくらいの座卓のような、通路用材が冠水時用に積まれていました)

大運河にあるゴンドラ乗り場、塗装や装飾金物など、意外とゴンドラの仕様が立派なことに驚きました。
ゴンドラ乗り場からサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会(トイレ休憩中にスケッチ^^;)

(左)大運河から迷路のような運河(生活路)への導入路(建物の間です)の1つです。
(右)ここから入ると、このような風景に遭遇します。
(左)サン・マルコ寺院です。(改修中)アラブ中近東のデザインが違和感を感じさせます。
左にサン・マルコ広場(右)が広がっています。
ベネツイアの街中の通路はこんな感じです。両手を広げることができないほど。
出店に、さまざまな仮面が売られていました。
18世紀からつづくカーニバルが、2月〜3月に開かれるそうです。
仮面をつけると貴族も庶民も無礼講で、他の国の貴族もお忍びで遊びに来たとか!?

橋の上からのスケッチです。運河にはいたるところに橋が掛かっています。
集合時間まで、約40分間手袋をとって描きましたが、手の甲の色が変わっていました。
なんとか描いて、大急ぎで集合場所へ駆けつけました。
イタリア視察紀行・第1弾・フィレンツエ〜
イタリア視察紀行・チビタ・デ・バニョレージョ
今回のイタリア視察を 背中を押してくれたのが、ここチビタ・デ・バニョレージョ
(Cvita di Bagnoregio)です。
住人は20名足らずの「死にゆく町=チビタ」
チビタ・ディ・バニョレッジョは、フィレンツエからバスで約1時間半、山の上に
今から2500年以上前にエトルリア人によって作られました。
敵からの防御のために選ばれた場所ですが、天空の城を思い描く人も多いようです。
風や雨によって浸食した土地は「陸の孤島」となり、細く長い橋を渡ってしか、
町にたどり着くことができません。
この町は別名「死に行く町」「滅び行く町」と云われ、町の入り口にイタリア語で
「il paese che muore(死に行く町)」と書いてあります。
町への入り口は300メートルの橋のみ(ここを渡るときの風は、吹き飛ばされそうな
勢いでした。高さもあり、高所恐怖症の人は引き返していました)今もなお
雨や風によって浸食が進んでおり、不便さから町中には、
数家族しか住んでいません。
昔はこの橋をロバで、食料や生活用品を運んでいましたが、今はオートバイです。
町には中世の建築物が多く残っていて、町の中心広場の、聖ドナート教会、司教宮殿、
1500年代の粉ひき場、サンタマリア城門などがあり、石や煉瓦が何とも言えない、
歴史の重みを感じさせてくれます。

チビタ・デ・バニョレージョ遠景、標高は500m位でしょうか?、
大急ぎで戻って、強風と寒さの中で、これも10分のスケッチです。

橋を渡り、急な坂を上るとここが入口です。

岩盤や山をくり抜いた、金物跡の残る通路をくぐると、教会のある広場に出ます。
しっとりした風情の建物が、両側に並ぶ通路を突き抜け、街の南端からみると、
標高が分かります。
急な坂は岩穴に続いていて、敵が近付くとそこを塞ぎ、
侵入を防いだのでしょう。橋ができる前は、これが唯一の生活道だったと思います。
上がり下りを考えただけでも、苦労が分かります。
(Cvita di Bagnoregio)です。
住人は20名足らずの「死にゆく町=チビタ」
チビタ・ディ・バニョレッジョは、フィレンツエからバスで約1時間半、山の上に
今から2500年以上前にエトルリア人によって作られました。
敵からの防御のために選ばれた場所ですが、天空の城を思い描く人も多いようです。
風や雨によって浸食した土地は「陸の孤島」となり、細く長い橋を渡ってしか、
町にたどり着くことができません。
この町は別名「死に行く町」「滅び行く町」と云われ、町の入り口にイタリア語で
「il paese che muore(死に行く町)」と書いてあります。
町への入り口は300メートルの橋のみ(ここを渡るときの風は、吹き飛ばされそうな
勢いでした。高さもあり、高所恐怖症の人は引き返していました)今もなお
雨や風によって浸食が進んでおり、不便さから町中には、
数家族しか住んでいません。
昔はこの橋をロバで、食料や生活用品を運んでいましたが、今はオートバイです。
町には中世の建築物が多く残っていて、町の中心広場の、聖ドナート教会、司教宮殿、
1500年代の粉ひき場、サンタマリア城門などがあり、石や煉瓦が何とも言えない、
歴史の重みを感じさせてくれます。

チビタ・デ・バニョレージョ遠景、標高は500m位でしょうか?、
大急ぎで戻って、強風と寒さの中で、これも10分のスケッチです。

橋を渡り、急な坂を上るとここが入口です。

岩盤や山をくり抜いた、金物跡の残る通路をくぐると、教会のある広場に出ます。
しっとりした風情の建物が、両側に並ぶ通路を突き抜け、街の南端からみると、
標高が分かります。
急な坂は岩穴に続いていて、敵が近付くとそこを塞ぎ、
侵入を防いだのでしょう。橋ができる前は、これが唯一の生活道だったと思います。
上がり下りを考えただけでも、苦労が分かります。









