中川運河の風景、小栗橋から北東を臨むと、松重閘門を経て堀川に向かう、
水路が開けています。中川運河は、大正時代の後半に計画され、昭和初期に完成しました。
当時は、東洋一と報道されています。
名古屋港から名古屋駅に物資を舟運する目的でした。昭和30年代には、一日4000隻の船が行き交う大物流動脈でした。物流の主役が陸運にとって代わられるに従い衰退し、昭和51年には、松重閘門も閉鎖されるにいたって、忘れ去られた存在となっています。
近年、ささしまライブ24の構想が明らかにされるに伴い、水辺再生からの名古屋の街を考えようとする動きが起き始めています。
橋の向こうに工事中の建物が見えますが、露橋下水処理場です。6年後の完成を目指しています。
ほとんどの施設が地下に造られ、屋根は緑化され、市民の利用ができると聞いています。
浄化能力も優れているため、水質改善も非常に期待され、周辺は清流も夢ではないそうです。
いろいろな可能性が開けそうです。
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